(画像提供:wowkorea)
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韓国の統一部(部は省に相当)は今月1日、南北対話50年の記念式典を開いた。

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1945年8月15日、日本の敗戦で日本の統治から解放された朝鮮半島。北はソ連軍・南は米軍の軍政が始まった。ソ連式の社会主義・共産主義体制を目指す北のキム・イルソン(金日成)勢力と米国式の自由民主主義体制を目指す南のイ・スンマン(李承晩)勢力は激しく対立する。

1948年8月15日、南には「大韓民国(韓国)」が誕生。翌月の9月9日、北には「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」が誕生した。今月9日の未明、北朝鮮で「9・9節73周年」の大規模な軍事パレードが開かれた理由だ。

理念闘争の時代、民族主義者たちはどうか南北対話で南北統一を夢見ていたが、夢は夢で終わった。日本の半島統治時代、武装系の独立運動家として日本の要人を暗殺していたキム・グ(金九)。南北対話に拘る民族主義者の代表格だった彼を暗殺したのは異民族ではなく、同族だった。

理念対立の米ソ冷戦は激しくなり、代理戦の如く1950年6月25日には朝鮮戦争が勃発し、南北は仇の対戦国同士となる。3年間の戦争で200万人以上が亡くなり、南北問わず半島全体が廃墟となった。

その後、南北が初めて対話したのは1971年8月20日のことだった。1970年代に入って米国と中国の接近や、米国とソ連のデタント(緊張緩和)の進行など、国際情勢が変化。

そんな中、朝鮮戦争などで離ればなれになった離散家族を探すことを目的とした、南北の赤十字社による「南北赤十字会談」が対話の出発点だった。

翌1972年5月には南北の政権幹部がそれぞれ極秘訪問し、同年7月には南北共同声明を発表。声明は7項目の「祖国統一原則」からなり、祖国統一は武力行使によらず平和的に南北間で自主的に行っていくこととした。この声明は当時、内外から「画期的な出来事」として評価された。

しかし、その後の南北対話は一進一退を繰り返すこととなる。1976年8月18日には、南北軍事境界線上にある板門店で、北朝鮮兵がポプラの木を剪定(せんてい)しようとした米兵を殺害した「ポプラ事件」が発生。

韓国軍・アメリカ軍と北朝鮮軍の緊迫度が高まり、こうした衝突も影響して同年8月30日には南北直通通話が切断され、南北の対話はほぼ途絶えた。

その後、1983年10月9日には、北朝鮮工作員が、ビルマ(現ミャンマー)の首都ラングーン(現ヤンゴン)を訪問中の韓国のチョン・ドゥファン(全斗煥)大統領(当時)一行の暗殺を狙った「ラングーン事件」が発生。

1987年11月29日には、やはり北朝鮮工作員によって大韓航空の旅客機が爆破された「大韓航空機爆破事件」が起こり、南北対話は中断を余儀なくされた。

こうした事態が打開するきっかけとなったのは1991年12月に南北間で締結され、翌1992年2月に発効した南北対話に関する合意文書「南北基本合意書」だ。当時の韓国のノ・テウ(盧泰愚)大統領は北朝鮮との関係改善を積極的に推し進めた。

2000年6月には、分断後、初めてとなる南北首脳会談が実現。韓国のキム・デジュン(金大中)大統領と北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記(いずれも当時)は会談後、南北共同宣言を発表。キム大統領が推し進めた対北宥和(ゆうわ)政策が結実した瞬間だった。

キム・デジュン大統領はこの功績が認められ、同年にノーベル平和賞を受賞している。

南北首脳会談はこれまでに5回行われている。ムン・ジェイン(文在寅)現大統領は、3回も行っており、いずれも2018年に開かれた。2018年4月の首脳会談でムン大統領は、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長(現・総書記)と板門店宣言を発表。

宣言には、朝鮮半島の完全な非核化を南北の共同目標とすることや、北朝鮮のケソン(開城)に南北共同連絡事務所を設置すること、首脳会談ならびに南北のホットラインを定例化することなどを盛り込んだ。

南北の雪解けが進むかと期待されたが、2019年2月にはキム・ジョンウン氏とトランプ米大統領(当時)による2回目の米朝首脳会談が決裂、南北関係はまたも悪化した。

北朝鮮は2020年6月、南北共同連絡事務所を爆破。事務所は、南北間を直接つなぐ連絡チャンネルの役割を担っていただけに、爆破は南北の窓口の遮断を意味した。

ムン大統領は就任4年に合わせた5月10日の演説で「平和の時計を再び回して、朝鮮半島の平和プロセスを進展させていく機会が訪れたら、全力を尽くす」「北朝鮮の呼応を期待する」と対話再開を呼び掛けた。

7月27日には、北朝鮮が1年1か月ぶりに南北通信連絡線を復旧させ、再び対話の窓口が開かれるかと期待が高まった。しかし、わずか13日後の8月10日、北朝鮮は再び応答しなくなり、不通は現在も続いている。かねてから反発を強めていた米韓合同軍事演習の実施に反発したものとみられている。

南北が対話を開始してから50年を記念して開かれた1日の式典で、統一部のイ・イニョン(李仁栄)長官は「止まっている南北対話の道を、再び切り開かなければならないという使命感と責任感を持っている」と述べた。

これまで、5回の首脳会談を含む計667回の南北対話が行われてきた。ムン大統領の任期も残りわずかとなる中、北朝鮮を対話のテーブルに呼び戻すことはできるだろうか。

韓国はそろそろ南北対話の幻から目を覚ます時だ。南北対話の結果がまたもゼロに戻る間、日韓関係は史上最悪と言われるほど拗れている。米韓の同盟関係も朝鮮戦争やベトナム戦争で共に血を流した「血盟関係」の褪色が続いている。

1945年から1948年までの出来事と同じく結果の伴わない南北対話は暫く置いておき、まずは必ず結果が伴う日韓関係や米韓関係の回復を優先すべきだ。方法は意外と簡単だ。日韓首脳会談や実務協議を行うまでもない。

ムン大統領が退任の前に、1965年と2015年の約束を守ると一方的に宣言する事だ。慰安婦問題や徴用工問題の裁判結果がどのようになっても韓国政府が責任を負うと宣言する事である。日米韓の三角同盟の回復以前に、韓国や韓国人を嘘つきにしてはいけない。
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