<W解説>韓国選手団が東京五輪選手村に新たに掲げた虎の垂れ幕、韓国人にとって「虎」とは?(画像提供:wowkorea)
<W解説>韓国選手団が東京五輪選手村に新たに掲げた虎の垂れ幕、韓国人にとって「虎」とは?(画像提供:wowkorea)
東京五輪の選手村に韓国選手団が、「虎が降りてくる」と記された垂れ幕を掲げた。

これに先立ち、韓国選手団は、「抗日の英雄」とされるイ・スンシン(李舜臣)将軍の言葉をもじった横断幕を選手村に掲げていたが、政治的な宣伝活動を禁じる五輪憲章50条に反すると判断した国際オリンピック委員会(IOC)の要請を受け、17日に撤去した。

新たに掲げた幕には、「虎が降りてくる」との文字と共に、虎の形をした朝鮮半島が描かれている。「虎が降りてくる」とは、韓国の伝統芸能パンソリ「水宮歌」の一節だ。

韓国において虎は、その勇ましい姿から、威厳や勇敢の象徴として昔から神聖化されてきた。朝鮮半島にはかつて虎が多く生息していたことから、人々にとって身近な存在でもあった。そのため、さまざまな場面で虎が登場する。

韓国人ならば誰もが知っている、建国神話のタングン(檀君)神話は、人間になることを望み神の下にやって来た虎と熊の物語だ。

韓国語には、虎が出てくることわざも多くあり、「身の程知らず」の意味で使われることわざは、直訳すると「生まれたての子犬は虎の怖さを知らず」となる。「鬼に金棒」の意味で使われることわざは、直訳すると「虎に翼」になり、虎が「何にも劣らない強い存在」として捉えられていることがわかる。

五輪関連では、1988年のソウル五輪、2018年のピョンチャン(平昌)五輪と、これまで韓国で開催された五輪では、マスコットは虎がモチーフとなってきた。

ソウル五輪のマスコット「ホドリ」は「虎の男の子」という設定。虎のほか、ウサギ、リス、オシドリが最終候補に残ったが、韓国で初めて開催された五輪のマスコットに採用されたのはやはり虎だった。また、ピョンチャン五輪のマスコットは、白虎をモチーフにした「スホラン」だった。

一方、虎をめぐる日本との歴史では、武将の加藤清正が1590年代に豊臣秀吉の命令で朝鮮出兵に駆り出された際、虎退治をしたという逸話が残されている。

先週、IOCの要請を受け撤去するに至った横断幕も、豊臣秀吉が朝鮮出兵した際、それに抵抗したイ・スンシン(李舜臣)が残した言葉「臣にはまだ12隻の船が残っております」をもじったフレーズが記されていたことから、日本メディアに「反日横断幕」や「抗日横断幕」と報じられもした。

今回、横断幕に続いて新たに選手村に掲げられた垂れ幕について、韓国メディアは「選手団の力に火をつける意味が込められている」と報じている。「歴史的に親しまれてきた動物」を応援のマスコットのように使っているなら問題になることはない。しかし、そこに政治的な意図が隠されているならば、話が違う。

列島の怖いものが「地震・雷・火事」だったならば、朝鮮半島の怖いものは「虎患と媽媽」だった。「虎患」とは虎による被害、「媽媽」とは天然痘のことだ。歴史的にこの2つの恐怖にさらされてきた半島の人々を解放させたのは、近代化であり日本と深い関係がある。

虎は日本統治期に朝鮮総督府の「害獣駆除政策」で狩られて絶滅した。天然痘はプサン(釜山)で活動していた日本人医師から種痘法(ワクチンの一種)を教えてもらった朝鮮の医師チ・ソクヨン(池錫永)により退治された。

しかし、韓国が独立した後、反日教育の過程で新たな「反日神話」が生まれる。日帝(日本帝国主義)が半島を永久に支配するため、朝鮮の「民族の精氣」を切り除いたとのこと。日帝が民族のシンボルであり民族の霊山を守ってきた虎を絶滅させ、民族魂が流れる半島の山脈や霊山に鉄の釘を打ったとの神話だ。

日帝が半島に近代式の学校を作った。その初等教育では威厳なる「虎の形」をしている元々の半島の地図を柔弱な「兎の形」だと植民地教育をさせていたとの話も付録みたいに付いている。それら「日帝残滓(ざんし)」を取り除くため、「国民学校」は「初等学校」に名前が変わり、教科書は修正された。

半島に流れる「民族の脈」を復活させるため、全国の山に登り、鉄の釘を発見して除去する運動や、朝鮮虎を復元するために剥製に残る遺伝子とシベリア虎との遺伝子を対照する作業などが続いた。

今回の垂れ幕が「純粋な応援」なのか、或いは「政治的な意図」なのか、良く分からない。パンソリ「水宮歌」の「虎が降りてくる」の部分にそのヒントはないのか。

水宮の亀は兎を騙し、肝を取るために山に向かった。疲れた亀は「兎」と呼ぶところを間違えて「虎」を呼んでしまった。威厳に満ちた姿で現れた虎に喰われてしまう危機になった亀は、虎の性器に噛み付いた。びっくりした虎は義州まで逃げたとのことだ。

義州とは半島と大陸と国境であり、豊臣秀吉の日本軍に攻められた朝鮮の国王・宣祖が中国に亡命しようとして待機していた場所でもある。今や、中国と北朝鮮との国境貿易が活発な新義州市として有名だ。

少なくとも「水宮歌」を楽しんでいた朝鮮後期の民衆は、この虎を「民族の精氣を守る霊物」として考えていたのではないようだ。大陸の清に貢ぎながら維持してきた半島の権力で民衆に虚勢を張る朝鮮王朝そのものとして認識していたかもしれない。

ちなみに半島の地図を虎で表現したのは、1908年の「槿域江山猛虎気象図」がその始まりだ。今回の垂れ幕もその描き直し。作者のチェ・ナムソン(崔南善)は「親日人名辞典」に載っていて、「親日派」とされている人物。親日派の作品なら国家や国旗も変えようとする韓国がこの親日派が描いた虎を垂れ幕とするのは韓国らしくない。「歴史を忘れた民族に未来はない」ものだ。

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