“ポスト菅”の岸田総裁とは?人種差別を乗り越えた日韓慰安婦合意の主役=韓国報道(画像提供:wowkorea)
“ポスト菅”の岸田総裁とは?人種差別を乗り越えた日韓慰安婦合意の主役=韓国報道(画像提供:wowkorea)

 小学校時代に米国・ニューヨークで受けた人種差別をきっかけに政治家を夢見た少年が、日本の第100代 内閣総理大臣に選出された。菅義偉首相に続いて、新しい日本の指導者に選出された岸田文雄元自民党政調会長(64)がその主人公だ。

 29日、日本経済新聞は自民党総裁選でライバルの河野太郎行政改革担当大臣を破った岸田総裁のこれまでの人生に焦点をあてた。幼い頃のニューヨークでの経験は、岸田総裁が政治家を夢見るきっかけになった。

 通商産業省(現在の経済産業省)の官僚だった父親の人事異動によりニューヨークに住んでいた当時、地元の公立小学校に通っていた彼が遠足で動物園に行った時のことだ。パートナーと手を取りなさいという担任の先生の指示に、白人の女子生徒は顔をしかめながら、手をつないでくれなかった。岸田総裁が生まれて初めて受けた人種差別だった。この経験は岸田総裁にとって、不条理をなくし、多様性を重視する政治を目指す契機になったと日経は伝えた。

 日本に帰国した岸田総裁は、日本最高の名門大学である東大合格者を多数輩出する名門・開成高校に進学したが、東大に行くことは出来なかった。3度の挑戦で早稲田大学に入学した岸田総裁は、日本長期信用銀行に入行した。1980年代半ばに成立した「プラザ合意」で企業が相次いで倒産する場面を目撃した岸田総裁は再び政治を志すことになる。結局、銀行入社5年後の1987年に彼は父親である岸田文武 元衆議院議員の秘書として政界に足を踏み入れた。

 岸田総裁が自民党総裁の座を初めて狙ったのは2018年の総裁選だった。しかし、当時は主要派閥の支持を受けていた安倍晋三元首相の存在感が大きかった。岸田総裁は安倍元首相の当選を予感し、勝算がないという判断で出馬を断念した。

 その後、2020年に安倍元首相が健康悪化を理由に任期を1年残したまま辞任の意思を明らかにし、岸田総裁にも機会が訪れたようだった。しかし、今回も状況は思わしくなかった。安倍元首相の後ろで黙々と“ナンバー2”を務めていた菅首相が自民党内の7派閥のうち5派閥の支持を得て当選が確実視されたためだ。あちこちで「岸田はすでに終わった」という話が出た。

 慎重だった岸田総裁が変わったのはこの時からだった。新型コロナ事態で周辺から「国が騒然とする時には、総裁になりたいという言葉を自制せよ」という懸念混じりの要請が出たが、岸田総裁は意に介さなかった。総裁選に挑戦するという意思を表明し続けたのだ。岸田総裁は菅首相に次いで2位となり、落選した。

 今回の総裁選で岸田総裁が掲げたのは「寛容の政治」だ。出馬を宣言し、岸田総裁は「今の時代に求められるリーダーシップは自分がやりたいことを強要するものではない」とし、「自分が正しいと国民を無視する政治でもない。さまざまな声を受け入れる寛容な政治だ」と主張した。日経新聞は「賛否が分かれる判断をする時は必ず双方の意見を聞いて決断を下し、一度決定すれば揺るがないリーダーシップがある」と評価した。

 寛容のリーダーシップを持っているという評価を受ける岸田総裁は、2015年の日韓慰安婦合意に署名した当事者でもある。韓国最高裁が植民地時代の元徴用工と元慰安婦らに賠償を命じる判決を下したことについては「韓国が国際法に違反した」とし、強い不満を示したこともある。

 岸田総裁も日米関係を中心に価値を共有する国家間外交を主軸とする安倍元首相の外交路線を継続する方針だ。ただ「北朝鮮の核問題に対応するためには、韓国との関係を再構築しなければならない」とし、自民党内部でもアジア・太平洋外交を強調する派閥を継承しており、長期的には日韓関係改善の余地があるという評価も出ている。

Copyrights(C) Edaily wowkorea.jp 84