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20日にYouTubeチャンネル「近況オリンピック」には、「ノ・ミニョクに会う。『Click-B』脱退20年後の近況。愛犬事業で大ヒット」だというタイトルの動画が掲載された。
動画でノ・ミニョクは「ペットヘルスケア会社を運営している。またペット栄養剤を発売した。ペット幼稚園も経営している。ファンの皆さんもしばしばいらっしゃる。『あのメンバーはこうやって過ごしているよ、オッパ(年上男性を指す言葉)』と言いながらメンバーたちの近況をファンたちが伝えてくれる」と述べた。
ギタリストとしての生活はほとんどないというノ・ミニョクは「サラリーマンバンドのように『Click-B』が活動する」と述べ、笑いを誘った。
同時期に活動していた「SHINHWA」を抑えるためにデビューしたグループだったという「Click-B」だとし、「(SHINHWAが所属していた)SM(エンタテインメント)とデソン(DSP)があった。SMから『H.O.T』の兄さんたちがデビューすれば、DSPは『SECHSKIES』を打ち出してきた。ライバルより人数を一人増やしたグループ構成にする“プラスワン”作戦を使った。『S.E.S』と『Fin.K.L.』、『SHINHWA』と『Click-B』もそうだった。“プラスワン”だけで言えば、『SHINHWA』を抑えるためにデビューしたように見えるが、『H.O.T』を追い抜かそうとした」と述べた。
さらに「実は客観的に練習しているのをみると、『H.O.T』を抑えることができなかった。ルックスはメンバーたちがずば抜けていたが、ダンススキルも不足していた。練習生の時、『わー、こういうのがソウルの人なんだな』と感じた。周りの子たちがとても洗練されていた。イケメンで言葉遣いも柔らかかった。僕はプサン(釜山)でギターの神童だった」と述べた。
それとともに「『百戦無敗(Undefeatable)』は唯一のヒット曲。楽器を担当したメンバーたちがその前まで人気がなかったため、人気がかなり上がるようになった。父が僕に対する欲が非常に強かった。早く成功をすればよかったが、僕が歌をやらないことに対する不満をもっていらっしゃった。メインボーカルを条件に契約したが、僕は父のそんな行動や要求がとても嫌だった。ひどくストレスを受けた」と明かした。
またノ・ミニョクは「事務所と父の関係も良くなかった。1stアルバムと活動時からすでに『すぐに帰ってこい』とおっしゃった。ギターを弾くマネをするか、帰ってそうするかと聞かれて、『一番いい時に帰ってくる』と言った。僕もとてもストレスを受けた」と語った。
さらに「その後は暗黒期だった。一番人気があったメンバーでもなかったし、家に帰ってくるなと言われて2年間家に帰らなかった。非常に多くの知人の家で居候をした。31歳の頃、母から電話が来て泣いていらっしゃった。(父親が)肝臓ガンの宣告を受けたのだ。とても小さくなって、僕が知っていた父ではなかった。父がその時になって『すまなかった』とおっしゃって、和解することになった:と付け加えた。
事業を始めた理由に「虚言症に詐欺師何人かと出会った。僕の周りの芸能人の人脈を利用しようとした。僕はおとなしい性格なので利用されやすかった。父の葬式の時から人々が訪ねてきて、香典の額も多かった。何人かにすっかりだまされてしまって、35歳になった。それで都落ちをすることになった」と述べた。
さらに「聞きかじったことはあるので、知らないことがあれば分かるまで聞いてみようと気持ちで苦労をした。詐欺にやられて都落ちをして、自分は何も知らなかった。知らないことに対する恥ずかしささえなければ、すべてやり遂げられると思う。僕の気持ちが焦りを感じなければできる」と伝えた。
ノ・ミニョクに会う。『Click-B』脱退20年後の近況。愛犬事業で大ヒット|近況オリンピック
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