きょう(4日)、韓国の次期大統領候補と言われているユン・ソギョル(尹錫悦)検察総長が電撃辞任した。ムン・ジェイン(文在寅)大統領は待っていたかのように僅か1時間でこれを承諾した。

韓国の媒体ではこれが例外なく”トップニュース”となっていて、「大騒ぎ」という表現が正しい。

何故、政治家でもない彼の辞任が韓国で大騒ぎとなっているのか?おそらく韓国国民が期待している「法治主義の回復」がその背景だと思われる。

まず、今までの彼の生き方を見てみよう。彼は1960年ソウル生まれ。父親は”韓国の慶應”と呼ばれるヨンセ(延世)大学を卒業、日本の一橋大学で留学した。その後、母校に戻り、統計学教授として活動した。母親はイファ(梨花)女子大学の教授だった。

1979年、彼は”韓国の東大”ソウル大学法学科に現役入学した。校内で「模擬裁判」が開かれた時、検事役を務めた彼は、1980年の光州事件(光州民主化運動)に対する裁判で、当時の現職大統領だったチョン・ドゥファン(全斗煥)氏に死刑を求刑する。

今ならそれほどでもない事だが、当時の軍事政権治下ではいくら大学の「模擬裁判」としても、相当な覚悟をしないと出来ないこと。そのせいで、彼は数か月も逃避生活をした。

そんな骨のある男だったが、司法試験にはなかなか合格できず、10年間も浪人生活を送った。「七転び八起き」の末に試験に合格した彼は、1994年から検事生活を始めた。

彼が世論に注目されたのは2013年。パク・クネ(朴槿恵)元大統領の執権期に韓国の公安「国家情報院(KCIA)」の世論操作事件の捜査を担当した時だ。長い間、「聖域」と呼ばれてきたこの機関を家宅捜索したり、国家情報院長に「公職選挙法」違反と「国家情報院法」違反を適用して起訴したりした。

後ほど韓国国会はこの事件の証人として彼を召喚したが、その時「私は人に忠誠しない」との名言を残した。

朴大統領が弾劾され、文大統領が執権した2017年5月、彼はソウル中央地方検察長に任命され、2019年6月には文大統領により韓国検察のトップである「検察総長」に任命された。文大統領からすると、前政権に打撃を与えた”味方”のはずだった。

しかし、文大統領の政治的な同志である「タマネギ男」チョ・グク(曹国)氏が疑惑の中、野党の反対にも文大統領により法務部長官(法相)に任命されると、尹検察総長は疑惑の捜査を続ける。ちなみに尹総長と曹氏はソウル大学法学科で一緒に勉強していた仲である。

曹法相が辞任し、判事出身の女性政治家のチュ・ミエ(秋美愛)氏が後任の法相に任命されると、大統領側近の捜査などで秋法相と激しく対立した。秋法相が尹総長を「職務停止」させると、尹総長は原則とおり法律や裁判を通じて抵抗した。その結果、尹総長は検察総長の職務に復帰したが、逆に秋法相は辞任に追い込まれた。

その後も執権与党は尹総長の弱みを掴み、辞任させようと裏調査をしていたようだが、彼を辞職に落とし込むような「ホコリ」は立たなかった。潔癖なほどの過去の逸話がマスコミから紹介されると、ユン総長は徹底した「原則主義者」「法治主義者」として韓国で褒められることとなった。

この過程で、韓国では「今の韓国に必要な、法治主義者」として尹検察総長の人気が高まり、一時期「次期大統領候補1位」となった。「政治指向」や「臨機応変」が重んじられ、「原則固執」や「マニュアル守り」が弱い韓国社会に対して彼の存在は”新鮮”そのものだった。

尹総長の本日の電撃辞任は、執権与党「共に民主党」が推進中である“重大犯罪捜査庁の立法推進”に反対したもの。尹総長が執権与党の言うことを聞かないなら、別の機関を作り、検察の捜査権を制限しようとする動きと解釈された訳だ。

この法案は「憲法違反」との見方で反発もあるが、昨年4月の”コロナ選挙”で300席の議席の中、180席を確保する圧勝を収めた執権与党としては、来年の大統領選挙を控え、必死に進めなければいけない法案でもあるようだ。

尹総長は本日、「この国を支えてきた憲法精神と法治システムが破壊され、その被害はひとえに国民に返ってくるだろう」と辞任の弁を残した。

来年3月に予定されている韓国の大統領選挙。彼は本日の辞任で、来年3月の大統領選挙への出馬がギリギリ可能となった。

彼の辞任の日、トンネルを抜けられない日韓関係には新たな変数が出来た。韓国の「法治主義」回復は、日韓関係の回復に大きな影響をもたらすはずだ。

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