朴大統領(手前)と崔被告=(聯合ニュース)
朴大統領(手前)と崔被告=(聯合ニュース)
【ソウル聯合ニュース】韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領に対する弾劾訴追案が9日、国会本会議で可決され、朴大統領は憲政史上で2人目の「国会の弾劾を受けた大統領」という汚点を自らの政治人生に残すことになった。 親友の崔順実(チェ・スンシル)被告に機密文書を流出させたとの疑惑が最初に報じられてから46日にして、国家元首、行政トップとしての権限行使が国会により強制的に中断させられた。 朴大統領は18年前の1998年に国会議員に初当選して以降、「原則と信頼の政治家」という政治的資産を築き上げ、2013年に韓国初の女性大統領に就任した。 だが、先月4日の国民向け談話で語った通り「私自身が警戒の垣根を下げた」崔被告につけ込まれ、国民の信頼を失うという最悪の危機に追い込まれた。 朴大統領は1997年11月にハンナラ党(現セヌリ党)に入党し、政界入りした。79年10月に父親の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(当時)が銃弾に倒れた後はひっそりと過ごしていたが、韓国を襲ったアジア通貨危機をただ見ているわけにはいかないと、再び大衆の前に出たのだ。 朴大統領は2004年から2年3カ月にわたりハンナラ党の代表を務め、大物政治家としての地位を確実なものにしていった。国会議員の再・補欠選挙や統一地方選挙で、当時の与党だった「開かれたウリ党」(現・共に民主党)を相手に完勝を収めた。 06年の地方選遊説時に暴漢に切り付けられて入院したが、退院直後に全国を遊説し、選挙を勝利に導いた。「選挙の女王」という異名も付いた。 07年の大統領選挙の候補を選ぶ党内予備選挙では、後に大統領となった李明博(イ・ミョンバク)氏に敗れた。李明博政権下で原則と信頼重視の政治家というイメージをさらに固め、これは12年の大統領選で勝利する下地となった。 だが、崔被告の国政介入事件が表面化したことで、大統領就任後も崔被告と緊密な関係を続けてきたことが明らかになった。 10月24日、韓国のテレビ局JTBCが崔被告のタブレット端末を入手し、朴大統領の演説草稿などのデータが残されていたと報じて以降、朴大統領は3回にわたり国民向け談話を発表した。先月29日に発表した最後の談話では「大統領職の任期短縮を含めた進退問題を国会の決定に委ねる」と表明したが、ついに弾劾の採決を回避することはできなかった。 朴大統領は、最後の談話で「1998年に政治を始めた時から大統領に就任し、今日この瞬間に至るまで、ひたすら国と国民のためという気持ちで全力を尽くしてきた」と述べた。弾劾の危機に直面した朴大統領が、国民に発した最後の肉声メッセージだった。
Copyright 2016(C)YONHAPNEWS. All rights reserved. 0