(画像提供:wowkorea)
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韓国訪問、とりわけソウルに旅行した者ならば一度は観た事が有るはずの”南大門”こと「崇礼門」だが、日本により”宝物1号”と指定されていたのはご存じだろうか。

 1962年に施行された韓国の「文化財保護法」によって崇礼門は「国宝1号」になった。そして2008年に放火によって焼失した際も、その復元事業は国宝「1号」に相応しいものなのか、注目と関心を集めて来た。

 ちなみに崇礼門が国宝扱いされたのは、日本の半島統治時代の1934年、朝鮮総督府が朝鮮内の文化財を宝物指定した際、「宝物1号」と付与したのが嚆矢である。そして、日本の敗戦と半島の解放と南北の朝鮮戦争の後、1962年に施行された文化財保護法によって、日本統治時代に育てられた専門家らの討議を経て、ここでも便宜的に国宝1号になった。

 つまり、日本の朝鮮総督府にせよ、韓国文化財庁にせよ、宝物指定・国宝指定は単純に指定された順番に過ぎず、その価値の順位や序列ではなかった。しかし、その番号が、その価値の順位や序列ではなかったと言う在り方は、韓国人にとって馴染めなかった。

 それ故に国宝「1号」は韓国の文化財の象徴にして頂点であるべき筈なのに、崇礼門は朝鮮総督府によって宝物指定された点で”日本の瑕疵”または”日本の陰謀”が有り、おまけに2008年の放火焼失後の復元事業が手抜き工事や不正によって国宝「1号」に相応しくないと言った論争や批判が韓国国内で絶えず提起されて来た。

 そして国宝「1号」に相応しいのは世界で最も新しい文字である「ハングル」を発表した「訓民正音解例本」であり、交代させるべきだとの世論が大きくなった。2006年の左派・革新系政権の時には、国宝・宝物の所管庁であるはずの文化財庁のユ・ホンジュン(兪弘濬)長官までがこのような主張をして論争に火を付けた事もあった。ムン・ジェイン(文在寅)現大統領が故ノ・ムヒョン(盧武鉉)元大統領の秘書室長を勤めていた時代のことだ。

 その結果、今月8日、韓国の文化財庁は1962年に文化財保護法により導入された文化財指定番号制度が文化財を序列化しているという認識を改善する為に、指定番号を無くして(非公開処理化して)内部管理用としてのみ運用すると発表した。

 具体的には公文書、ホームページ、教科書、道路標示板、文化財案内板等においては「国宝1号 崇礼門」は「国宝 崇礼門」に変更するとしたのだ。

 そもそも韓国人の世界観において、人間間、企業間、国家間等の関係上、垂直的な序列、上下の順位をつけずにはいられないと言うものがある。そして水平的な、平等で左右間の序列・順位の無い関係に馴染みづらい。

 これは垂直的な序列、上下の順位を明確化し、各々がその位置に応じた言動を順守する事で社会の安定と理想国家の実現を図ろうとする、孔子以来の儒教的世界においては不可避なものだ。

 ところが李氏朝鮮時代の徹底した「儒教化」政策、就中、「性理学」を基盤とした国家と社会の形成によって、各々が時代時代の国家・支配者が制定した擬制(リーガルフィクション/ポリティカルフィクション、大きな物語)を基準として序列・順位の向上を図る熾烈な競争社会を韓国に(恐らく北朝鮮にも)もたらした。

 こうした感覚を持つ韓国人にとって、国宝・宝物に番号をつけず、文化財を序列化・順位付けしないと言うやり方は果たして馴染んで行くのだろうか。今後の文化財政策の行方に、関心を持たざるを得なくなった。
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